私は要らない子
私の事
というより育った環境の話
・父親、長女教(先に産まれた者が偉い)
ギャンブル、買い物、酒、煙草、依存。DV、絶縁済み
・母親、毒親、酒乱、プライド高い、世間体を気にする
・母方の祖母、両親共働きの為母親代わり
・姉、2歳離れている
・私、2人姉妹の妹
・父方の祖母、キチガイ。絶縁済み
両親共に片親母子家庭、多分二人共何らかの病気があると思う、病院嫌いで(診断なし)
私の自分語りな為詳細な血縁者の思考性格は省いて進めていきます。
最初に言っておくと父親が大嫌い
法的にではないけど、現在絶縁しいてます。
※2023/05/17更新
2022/7/29付けで名前改名済み
元両親、身内共に絶縁(姉はたまに連絡あり)
母方の祖母他界。
親にとって、
私の事は二の次三の次、多分どうでもいい邪魔な存在
幼少期の記憶は我慢我慢我慢ひたすら我慢
父親に毎日下らないことをチクチク暴言を吐かれていた。
父親は「お前は2番目に産まれてきたから、先に産まれた姉の方が偉い、お前は何でも我慢しろ」
父親も2人兄弟の弟、自分がそう言われてきたのかは知らないが、多分そうなんだろう、自分が我慢して生きてきたからそれを娘にも同じ様に同じ目に遭わせたかったんだろう。
父親は人を不愉快にさせる才能がある
相手が言われたらどんな嫌な気持ちになるか分かっていながら、とても不快な言葉をぶつける。
実家にある大量のアルバムの95%は姉の子供の頃の写真
私の写真は数えるぐらいしかない。
私に興味が無い。
心配されたり、相談を聞いてくれたり、物事を教えてもらった記憶は無い。
姉がやりたい事は何でもやらせ、欲しい物は買い与えた。
私のやりたい事は否定されやらせてもらえず、欲しい物も買って貰えず、姉が飽きたお古を与えられる。
姉がやりたい事は大体続かない、すぐに飽きる
私もやりたいと言えば
「姉が続かないことがお前なんかが続くわけがない」
とやらせてもらえず、全て否定される。
2つの選択があれば、姉が優先、残りが私。
好きな物が正反対、全く違うのに姉のお下がりの物ばかり、姉は勿論新品の好きな洋服、私はお古。
「お下がりばかり嫌」と言えば「お前に買う服は無い、嫌なら何も着るな裸で生活しろ」
泣く泣く毎日姉の好きなピンク色の服ばかり着ていた
私はピンクが一番嫌いだった。
小学生の時友達にはピンクが好きだと認識されていて、誕生日にはピンクの物ばかり貰い、やるせない気持ちになった。
私は幼い頃からアレルギー体質でアトピー性皮膚炎と蕁麻疹がある。痒くて痒くて血が出るほど掻きむしっても、なかなか病院に連れて行ってもらえない。
酒や煙草を買うお金はあっても病院に行かすお金は無いと。
小学2年生の時に父親が車で事故に遭い右目を失う
自業自得、因果応報、散々人や生き物をぞんざいに扱ってきた罰だと思った(それぞれの内容は省略)
幼稚園~小学生の時は両親共働き、それなりの地位にいて割りと裕福だった…はず。
それなのに家には借金があった。小学生の時から借金取りからの電話に出させられ、家に来た借金取りの相手をさせられた。
家に何故借金があるのかは現在も流されて教えてもらえず、聞けば「生活費」
小さい頃のお年玉も小学生からの積立てのお金も全部遣われた。何に使ったか聞けば「生活費」
収入以上の生活をしていたんだと思う。
無ければ借りればいいその日暮しな生活、あればあるだけ遣い、貯金や貯めるという概念が無い。
安易な考え。
世間の人や周りは「どうせそんなこと言っても実際は貯めてくれてるよ、親なんだから」
この人達は恵まれた環境で育ったんだな、いかに幸せか理解出来ていないんだ、同じ人間と認識できず、こういった人とは関わらないようにしている。
『普通という名の当たり前』
価値観は人それぞれだけど
世間一般的な『普通』と『当たり前』
これが私の生活には無かった。
こんなの書いてたら不快な気持ちになってきた…
でも続ける
両親は毎晩酒を飲む、そして下戸、物凄く弱い
大人になればみんなそうなんだと思ってた、酒が入れば必ず始まる。くだらないことでカチンときてヒートアップ。色んな物が飛んでくる、壊れる雑貨や家具
私は兎に角両親が喧嘩するのを見ているのが本当に怖くて不快で嫌だった
いつもどうしたら両親が喧嘩にならないか気を配って生活していた
それなのに、
「本当お前は要領が良くて調子が良いよな、変わり者、頭がおかしい、姉を見習え」何千回と言われたか分からない。
どうして親の喧嘩を止めたい娘に「要領が良くて調子が良い」なんて言葉が出てくるのか理解出来ない。
親が子供の前で喧嘩をすること、見せることは、よくないこと。
最近になって知った。
ドラマで両親が喧嘩し出した時に「子供の前だ」「早く寝なさい」子供を遠ざけて夫婦として言い合い話し合い、これは子供には見せては聞かせてはいけない。
そんな当たり前が我が家にはなかった。
いつもどうしたら両親が喧嘩しないか、怒鳴られないかばかり考えていた。つらかった。
父親のDVは物心ついた時にはあったと思う
冷静に考えて、子供の前で母親を怒鳴り散らしたり花瓶の花ごと投げ飛ばしたり、車の中で運転中帽子破り捨てたり、母親を痣が出来るまで引き摺り回したり(骨も折れてる)、1度だけ姉の顔面ひっぱたいたり、私の背中思いっきり蹴り飛ばしたり。
普通ではなかった
人格否定は日常茶飯事。
小学5年、いきなり隣の市に引っ越すことになった、説明は無い。
転入する日、姉の中学校の入学式と被った
私は母親に連れられ新しい学校に朝一番に着き待機
小学校の転入生は親が同伴
2歳離れた姉の中学校入学式は親は普通参加は無い
はずが、
母親は私を置いて姉が入学式だからと学校を後にした、転入生で親が同伴していないのは私だけだった。